FC2ブログ

そこはかとなくエロゲを綴る

 >  レビュー >  缶詰少女ノ終末世界 感想・考察

缶詰少女ノ終末世界 感想・考察

いつもの書き方とは少し変えて、簡易的な感想と考察にて記載していきたいと思います。
ネタバレがありますので読む際にはご注意ください。

缶詰少女ノ終末世界 感想
シルキーズプラス(あらすじはこちら

20190502 (1)

DMM 駿河屋 Amazon

原画:イチリ
シナリオ:渡辺僚一
終末に立ち向かうプレッパーズADV
プレイ時間:15時間程度

初夏の豪雨の日。
コンビニに逃げ込んだ小海雅孝はイートインで、雨が止むのを待っていた。
ふと気づくと、隣の席に女の子がいた。

彼女が持っていたのは、ジュースでも、ホットスナックでもなくて、鯖の味噌煮の缶詰だった。
しかも、その缶詰を開けて食べだしたのだ。女の子が! コンビニの! イートインで!
鯖の味噌煮の缶詰を!食べるッ!
しかも、女の子は鯖の味噌煮の缶詰を食べると、まだ激しく雨が降り続ける外へと平然と出て行ったのだ。

エキセントリックな行動に心を奪われた小海は、彼女と再会した時に質問する。
「どうして、鯖の味噌煮の缶詰を食べたの?」
彼女は答える。
「しゅっ、終末の準備の為なんです」
彼女は続ける!
「いつ来るかわからないから、終末に備えておく必要があると思うんです」
彼女はさらに続ける!
「あっ、あの終末ってまだ来てないけど、終末のことを書いた作品はたくさんあって。そういうのを読んだり見たりして、発見したんです」
彼女は何を発見したのか?
「『少女終末旅行』にも『北斗の拳』にもありましたし『マッドマックス2』でも。『ザ・ウォーカー』にもありました。
それと『ザ・ロード』と『終末のフール』と『終わりの街の終わり』と『超プロレスファン列伝』でも! 『最終兵器彼女』……あれ?
あれはインスタントラーメン?」
落ち着け!
「『ひとめあなたに……』はどうだったかな? あっ『ポストマン』と『塩の街』はですね、絶対にあると思っていたのになかったんです。
ない系ですね、はい」
いや、だから何があったりなかったりするんだ!?
「缶詰を食べるシーンです。終末になると、缶詰を食べるみたいなんです。だっ、だから、その……。終末の準備のために、
缶詰を食べる練習をしておこうと思ったんです」

終末の準備のために缶詰を食べる?
「はっ、はい! 終末の準備をしている人は世界中にたくさんいるんです。そういう人々のことをプレッパーズというんです」
──プレッパーズ。終末を見つめる人々。
これはプレッパーズとなった少年少女達が、終末に立ち向かう物語である  (公式HPより)



現実、我々が日常において緊急地震速報が自分の携帯から、周囲から聞こえてきたら異様なまでの緊張感が走ります。
先般の震災の時からそうですが、あの音を聞いただけでも私は心拍数が跳ね上がります。

この世界ではそういったアラートがいくつもあり、それが日常であり、ゆっくりとぬるぬると終末へと向かっていきます。
そんな"来たる終末に備える"ために主人公が偶然にも出会った更紗を中心として『プレッパーズ部』は結成されます。
部活動を交えながら、主人公やヒロインたちとの交流を見せつつ、ザッピングを交えツバキや烏森サイドの話を同時に進行していく様は想像力を掻き立てられ色々な結末を想起させました。
結果的には更紗を中心としたどこを詰めても"缶詰から出る"お話だったということで、合点はいきました。日常の会話のテンポの良さは流石のファッキンというところでメリハリのある展開を最後まで楽しむことが出来ました。

私が好きな量子論なども述べられており、シナリオゲーとしては面白いですが、各ルートの短さやイチャラブといった要素はかなり薄いためその点では物足りないといった意見も出てくるかと思います。とどのつまり一本道であることも賛否ある部分なのではないでしょうか。
イチリ先生の描くキャラクターが柔らかそうで可愛らしいですし、ファッキン節ある掛け合いがもっとあってもいいかなという気持ちはないわけではないですが、この作品のテーマを考えると各ヒロインを深堀することも出来ないのだと思います。
いいんです、私は八乙女先輩が自己所有する電マで気持ち良くすることが出来たので満足なんです。


さて先に書いていた考察ですが、私はこのエロゲの考察をするにあたり大きな柱が二つあると考えました。
それは、「SF的構成要素」「文学的構成要素」です。当然両者をミクスチャした要素も多分に含まれます。

[SF的構成要素]
・解離性同一性障害の疑似発生と人格の移植
・時間遡行と多世界解釈
・量子論
・世界5分前仮説
・アポトーシス

[文学的構成要素]
・竜生九子
・バジリスク(ケベード)
・中原中也の『在りし日の歌』より『曇天』
・太平記
・その他各種媒体における「終末」に関する考察
上記終末が語られている作品中に同人ゲー『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない』もありました。



この中で、中也の詩の内容は一部絡むところもありますが、後述するため一旦外した上で進めていきます。
太平記についても口惜しさ程度のエッセンスなので、ここも割愛します。

竜生九子は字のごとく、竜が生んだ九つの子を指します。中国の書物では下記のように記載されています。
ヒキ(贔屓)…重きを負うことを好む。※烏森が持つ
チフン(螭吻)…遠きを望むことを好む。※小海が持つ
ホロウ(蒲牢)…吼えることを好む。※辻花が持つ
ヘイカン(狴犴)…力を好む。※八乙女が持つ
トウテツ(饕餮)…飲食を好む。
ハカ(蚣蝮)…水を好む。
ヤズ(睚眦)…殺すことを好む。※ツバキが持つ
シュンゲイ(狻猊)…煙や火を好む。
ジョクト(椒図)…閉じることを好む。※更紗が持つ

更紗が宿す『ジョトク』はこのジョクトのこととして考えます。

竜子であると言われるヤズを持ったツバキは殺しのプロとして育てられ、ある時自分の前頭葉を破壊し、その時に主人公である小海という人格を生み出した。小海はそのときにチフンの能力を持ちます。
ツバキは小海のことを愛してしまい、主人格であるツバキが自身の身体を小海に明け渡したいと願うようになります。
しかし、時間に立つことのできるツバキは死と同時に自身の意識を別の時間に飛ばすことができるため、完全な消滅が事実上できません。ツバキを消し去ることができる存在であるジョトクが必要となります。

一方でツバキが小海に肉体を明け渡したとしても、小海からまたツバキを生み出そうと頭をいじる可能性があります。
それを避けるために先にツバキは『ふるべの会』を壊滅させ、時間に立つことができる烏森も排除します。
ツバキの時間遡行の能力を利用し、過去改変を続けることで現在の認識を変化させていきます。
終末を望むジョトクは現在における一番終末を向かえる可能性の高い核戦争を望むと考えたため、この妨害をし続ければいつか出会う事が出来るだろうと考えていました。

チフンを持つ主人公は『世界の果て』を見たい『台風』のような荒波に揉まれどこか遠くの世界に行きたいというおぼろげな思いが重なりジョトクである更紗を観測します。と、同時に世界が終わってはいけないという考えもあるため、抑止となる辻花のことを観測します。両名とも5分前仮説に基づき、記憶を有した状態で観測され、世界はそうあるものとして受け入れます。
辻花編ではこの部分を色濃く語られており、八乙女編と烏森編で語られた主人公を愛するツバキが時間遡行によって世界改変を行ってきたことで本来は廃棄された地下シェルターが学生が守る核ミサイル施設となっています。
訓練ではあるものの、辻花が核ミサイルの発射(世界の終わり)を偶発的に阻止したことで、辻花自身も自身を認知することができ、烏森編のラストでツバキの思念を取り込んだことで世界改変が起こせるようになったことで『世界の果て』は加速します。
わざわざ語ったことからもきっと辻花自体がアポトーシスのような仕組みを有していたのではないかと思っています。

また、ここの選択肢がどちらを"観る"かでゾッとしました。ここでもどう観測するかがキーになってくるのかと。

更紗を観測することでまた時間遡行と世界改変が進み、更紗編となります。
更紗編ではジョトクの能力を発揮しまくり、"世界を閉じる"ために核戦争は起こり、更紗の暮らす"アパートに籠り"ます。
烏森の訪問をきっかけに、ツバキの意識は覚醒し、更紗も事実を知ります。
そこで主人公はチフンの能力を活かし缶詰であった更紗を外に連れ出すことでエンディングとなります。

エンディングでは主人公が行きついた『世界の果て』は人類の可能性を広げることであると考え、遠くの海外の地にある自分からさらに遠くの宇宙を目指す決意と決別を行うことでこの物語は幕を引きます。

辻花編は量子論の話などが出てきておりいっきに見えてくるカタルシスが多かったので好きなシナリオです。

ケベードのバジリスクの引用に関しては上でも触れていますが雌雄の場合に恋に落ちるという点から小海とツバキの状況を説明しているだけかなと思うので、特に触れないでおきます。

なぜ『曇天』を引用したのかについては少し考えてみたいと思います。
20190502 (2)

作中でこの中原中也の詩が引用されるシーンは2か所あり、1つは物語冒頭、もう1つは更紗編の冒頭です。
いずれも同じ部分の抜粋ですが、プレイヤーに与える印象は大きく異なっています。

20190502 (4)

一方は野原に横になり雨雲の空の下で見上げるツバキ、もう一方は屋上から晴天のもと遠くを見る小海と更紗と対比させる構図となっています。

『曇天』という詩は中原中也が文也の死後にまとめ、発表された『在りし日の歌』の中の1つであり、現代文での全文は以下です。
ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

手繰り 下ろさうと 僕は したが、
綱も なければ それも 叶はず、
旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(をくが)に 舞ひ入る 如く。

かかる 朝を 少年の 日も、
屡々見たりと 僕は 憶ふ。
かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍の 上に。

かの時 この時 時は 隔つれ、
此処と 彼処と 所は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。           中原中也 曇天より


三節にて本作での描写と同じ状況が再現されています。
中也の心境を鑑みると、この『黒い旗』は息子への弔旗の幻想であることと時の流れと共にまだ息子を偲ぶ気持ちがあることであるということ、もしくは自身に降りかかる悪い事への予兆だったのかもしれないと考えます。

では、本作における『黒い旗』とはなんだったのか、いずれにおいても実際の旗ではなく幻想であると捉えるべきであることから不定形なものなんだろうと考えることができます。

両者が見据えていたものは「世界の果て≒終末にあるもの」と仮説を立てて考えると妥当なのではないでしょうか。

最終的に小海はその『黒い旗』を手繰り寄せ自身の結論として腹落ちさせました。ツバキも自分で導きました。
じゃあ更紗の『黒い旗』はなんだったのか、という点ではマンションの扉を開けた先が描かれていない点は少し疑問が残りますが渡辺さんはそこを書きたいわけじゃないのだと思うので仕方ないのかもしれません。

この中也の詩に関してはMTBさんの缶詰少女ノ終末世界の感想で考察されており、脱帽しました。興味深いです。


こういった要素を押さえながら考えて楽しむ成長作品を久しぶりにプレイしたような気がしてスッキリしました。
(自身が抜きゲーばかりプレイしてたせいなんですが)
普段以上にファッキンがファッキンしていたので苦手でなければ愉しむことができる作品だったと思います。
シェルターに籠るあたりはライターさんらしいなあと感じることもしばしば。
体験版の幕引きからものすごいスペクタクルな作品を想像していると肩透かしを食らいかねないので注意が必要です。


後日加筆修正をするかもしれません。
それではまた次の記事にて。


DMMで購入

関連記事

コメント






管理者にだけ表示を許可する